全日本・食学会 ALL JAPAN FOOD ASSOCIATION

      
【開催日】
2015年11月8日(日) 《実施レポート》
【開催場所】
東京誠心調理師専門学校(東京都大田区蒲田3丁目21-4)


第2回 全日本・食サミット「江戸前~江戸・東京 未来につなぐ食文化~」イベント報告⑦


■B-②分科会(14:00~15:00)

「精進料理と和菓子」

野村大輔(宗胡)・黒川光晴(とらや)

コーディネーター 奥脇裕(全日本・食学会 副理事長)

奥脇:全日本・食学会は、和食・洋食・中華・パティシエ・ソムリエ等々、料理ジャンルを横断的に、世代も地域も超えた日本で初めての料理人団体です。

日本の食と食文化を世界に普及しよう、できるだけ多くの人に素晴らしさを伝えていこうという志のもと、被災地支援や食を通じた外交のお手伝いなども行っております。

私は料理人ではありませんが、副理事長として脇で支えております。

この講座は、私がコーディーネート役として進めてまいります。


野村:私はもともと、実家が東京の愛宕で「精進料理醍醐」というお店をやっており、一昨年までそこにおりました。そして今回、今までの精進料理からもう少し先に進んだ、もっと世界に発信していけるようなお料理を提案したいと思い、今年の2月に六本木で「宗胡」というお店をオープンしました。よろしくお願いします。


黒川:父が「とらや」の17代目社長をしており、自分は学生時代と大学卒業後2年ほど、工場で生菓子を作っていました。その後、パリでフランス菓子を勉強したり、フランス料理の厨房に入らせていただき、現在はマネージメントのほうを行っております。

本日は宜しくお願いします。


奥脇:文化というのは共有と継承だということを、精進料理と和菓子が、どのように実践されているのか、教えてください。


野村:個人的解釈が入りますが、精進料理の歴史を簡単にお話しさせてください。

精進料理は仏教とともに発展してきた料理です。インドでお釈迦様が仏教を興し、托鉢の文化を広めました。中国に伝わり山奥で修業するようになると、人里まで何日も歩いて托鉢で賄うことが難しくなりました。そこで畑を作って自給自足をするようになり、もともと中国は菜食の考え方があったため、肉や魚を食べなくなりました。

このように、かなり形が整った状態で精進料理が日本に入ってきました。

そこで登場するのが、曹洞宗の道元法師です。彼が現在日本で一般的に広く知られている精進料理の形を定めました。昔は中国に命懸けで中国に渡り、そこで最新のものを学び、日本に帰ってきたお坊さんが仏教最先端の情報を広めていました。その代表は茶道。千利休を経て茶懐石が成り立ちますが、もともとは精進料理で、武士の時代になるとともに、質実剛健なものに変化しました。江戸時代になると品数も華やかに増えていき、今日の懐石料理に結びついています。

精進料理の特徴としては、やはり「殺生をしない」というのがありますが、仏教では草木も野菜も等しい命を持っていると考えます。ということは、「殺生をしない」というよりは「修羅場を見ない」。つまり「苦しんだり血が流れるものをなるべく食べないようにしましょう」というのが根幹です。野菜であっても命を絶って、その命をもとに我々は生きているわけですから、それらを無駄にしないように大切に食べましょうというのが精進料理の心です。

そして、もう一つの大きな特徴。それは愛がある料理だということです。自給自足ということは、食材が毎日ある程度重なってきてしまいます。そこで工夫して、昨日は煮たから今日は揚げてみようとか、この食材とこの食材を合わせてみよう、とか。食べ手のことを思って工夫し、かつ厳しい修行に耐えられるだけの体力も考えてあげる。

そして、仏教には食べることも修行の一つだという考え方があります。そのため、作り手の愛情を受け取る。そういう思いやりのある料理だと思います。


現在は、精進料理は形式としては残っていますが、日常的ではありません。今この時代に求められている精進料理は何かと考えると、飽食と言われる日本で、食べる・命をいただいていることの大切さを伝えていければと考えています。

ですので、私のお店では制約するのではなく卵や乳製品を使っています。これらは修羅場の食材ではありませんから。

このように時代とともに変化しても良いと思います。そうすると料理の幅も広がり、精進料理の名前は知っているけれど食べたことはないという方にも、こういう料理があるのだと知っていただくきっかけになると思います。


そしてもう一つ。海外の方にも精進料理を知ってもらいたいという思いです。もちろん海外にもベジタリアンという考え方がありますが、単に野菜を食べるということではなく、仏教の教えに根差した料理なんだということを少しでも知ってもらえればと思い、やっているところです。


奥脇:草木も物言わぬだけですべてのものには命があり、命をいただく気持ちが精進料理なのですね。

典座(てんぞ)料理というもありますが、これは精進料理とは違うのですか?


野村:典座というのは、お寺の台所を指します。つまり、お寺で作っている精進料理のことです。そして、このお典座さんは、お坊さんのなかでも比較的地位が高いです。


なお、試食は精進寿司を用意しました。アボカドと湯葉を醤油麩で和えたお寿司です。一般的にイメージする精進料理とは違うと思いますが、精進で使える食材であればもっと自由にやっても良いのでは? という思いでやっています。

もちろん、お椀とか煮物だとか伝統的なもののほうが絶対においしいだろうと思うものはそのまま残しますが、コース料理のなかでちょっと遊べるものも組み込んでいます。


奥脇:ベースをきちんと持っていて、その上で半歩ずつ歩み出すような形でお客様にメニューを提供していく。というのが彼の気持ちではないかと思います。


続きまして、和菓子のお話です。


黒川:「とらや」は京都で発祥してから、500年近い歴史をもって和菓子を作り続けています。当時の記録がある400年以上前の段階から皇室の御用をさせていただいておりました。

和菓子というと茶菓子だとかを想像されると思いますが、私どもは年中行事として皇室の御用をさせていただいております。そして明治維新のとき、皇室の皆さまが京都から東京へ移られたときに「とらや」も東京にまいりました。

和菓子のルーツはいくかありますが、禅僧のお坊様が精進料理などと一緒に持ち込んだ点心がルーツの1つだと言われています。羊羹は、皆さん漢字をご存知だと思いますが、羊の羹(あつもの)と書きます。何故かというと、もともとあれは羊のスープでした。それが精進料理の考えによって、羊のお肉の代わりに小豆を使って食べ始めたというのがルーツです。お饅頭ももともとは中にお肉が入っていましたし、そういう部分が精進料理と関わりが深いと思います。


「とらや」のお菓子は、焼き菓子で少々卵などを使っているケースがありますが、ほぼ植物性で通しておりまして、動物性の原材料を使うのは稀です。洋菓子ではゼラチンを使ってものを固めていますが、羊羹は寒天です。たまに中東の方のお客様にもご来店いただくのですが、完璧なハラール(イスラム法上で食べることが許されている食材や料理)ということで、喜んで召し上がっていただけています。


奥脇:明治維新のとき、京都に残るか明治天皇とともに東京に移るか。大きな決断だったと思うのですが、苦労話とか残っていますか?


黒川:御用菓子屋として200年間注文を続けて下さっているお客様が、住まいを移られたことで御用ができなくなるというのは心苦しいというのと、もう一つ正直なところでは、私どもの売上の半分以上は皇室からの御用でしたので、それをやめるのは経営的にも影響が大きかったという背景があったと思います。


奥脇:一方で武士も和菓子を嗜むことが教養とされており、将軍が大名や旗本を呼んで和菓子をお配りしたとか。


黒川:そうですね。いろいろな場面で将軍家もお菓子を用意いただいておりまして、特にお月見のときなどは大量の注文が記録として残っています。サイズも今と比べると大きいです。


奥脇:将軍様が大名にお饅頭や和菓子を分け与え、それを自分の屋敷に戻って配下の武士に食べさせる。そのような形で町民にも和菓子の文化が伝わりました。


今日はサプライズで初物を試食で持ってきていただきました。江戸っ子は初物が好きで、初物を食べると寿命が75日延びるという謂れもあったようです。

黒川:ラグビーワールドカップが今回すごく盛り上がりました。そのラグビーボールのお菓子を作らせていただきました。

ご存知の方もいるかと思いますが、「とらや」ではゴルフ最中を出しております。

大正15年、三菱財閥の岩崎小弥太様の要請によって誕生しました。このようにお客様からのご要望で作ったお菓子が後々に伝わっていくというケースもございます。


あとは11月の1ヶ月間だけ東京の2店舗限定で、燕の巣を使ったお菓子を販売させていただいています。世界には素晴らしい原材料があり、さまざまなものに目を向けて、さらに常に一番良いお菓子を作り続けたいという想いがあります。

燕の巣は厳密に言えば、動物性のタンパク質ですので社内でも議論になりました。

しかし自分としては一つの新しいチャレンジとしてやるべきだ、と主張しました。

肌に良いお菓子になっておりまして、こういう新しいことにどんどんチャレンジしていきたいと思っているところが「宗胡」の野村さんと共感できる点だと思っています。


奥脇:500年の歴史の中でも新しいことに挑戦していこうという遺伝子がしっかりと入っていますね。彼のお爺様16代当主が昔、和菓子は五感の芸術だと言っておられました。

まず最初に形と目に見える美しさで視覚に訴えます。次に口に含んだときのおいしいという味覚。その中の仄かな香りが嗅覚に訴え、手で触れて楊枝で切るときの触覚。そして、和菓子の中で季節を感じたりできる聴覚。

日本人ですと、こういう説明するとピンできる部分があるかと思うのですが、「とらや」さんは何十年の前にパリにお店を出されてますよね。今はかなりうまくいってると思いますが、これまでにどのようなご苦労があったのでしょうか? どんな風に日本の文化が理解されていったのか教えてください。


黒川:16代の祖父はちょっと奇抜な人だと聞いています。出身地の京都とパリの街というのが、食・芸術・文化等に対して造形が深い点が似ているところが多いのでパリにお店を出したと。しかし、やはり羊羹とか慣れ親しみのないものですので、当時は黒い石鹸じゃないかと言われたりもしたそうです。また、豆を甘く煮て食べることもありませんでしたし。

35年経ちますが、現地の方やハリウッドの有名な方にも来ていただけるようになりました。


奥脇:もともとパリは食に対しての文化的感性が高い国ですが、それでもいろいろ苦労されているのですね。


黒川:海外ですと作るものの条件がまったくく違うのが苦労します。特に水が硬水ですので、寒天の溶け方も違います。では水の量を増やせば良いかというと、そのような単純な話でもなく。苦労のなかで徐々に皆で経験を積み重ねて、もっともっとおいしいお菓子になるように日々やっております。

奥脇:東京は食の都です。和食・洋食・中華・ラーメン……等々、これだけ多様性と高質性と創造性豊かな食文化は、本当に日本が世界一だと思います。

2019年から2021年にかけて、ラグビーワールドカップ・オリンピックとパラリンピック・スポーツマスターズと、世界の3大スポーツ大会と言われる国際大会が連続して日本で開催されます。日本に来る世界中の人が一番期待しているのは、日本の食です。

本日の野村さんや黒川さんのような、海外のことを理解しながら、より入りやすい形でフレンドリーに日本の食文化を紹介してくれることを期待します。

そして海外の方に日本のことを聞かれたらきちんと答えられるように、我々がもっと日本の事を勉強していく必要があると思います。

本日はありがとうございました。