全日本・食学会 ALL JAPAN FOOD ASSOCIATION

      
【開催日】
2015年11月8日(日) 《実施レポート》
【開催場所】
東京誠心調理師専門学校(東京都大田区蒲田3丁目21-4)


第2回 全日本・食サミット「江戸前~江戸・東京 未来につなぐ食文化~」イベント報告⑥


■B-①分科会(14:00~15:00)

「伝統野菜の可能性」

野永喜三夫(日本橋ゆかり)・大竹道茂(江戸東京・伝統野菜研究会)

大竹:江戸東京野菜には一つひとつ物語があります。

江戸幕府が開かれると、各地から武士だけでなく商人や職人、農民も江戸にやってきました。それまでの江戸は寒村でしたので、急に人口が増えて食べ物に困ってしまいました。お米や酒、醤油や味噌などは下りもの(京都や大阪から運ばれたもの)で問題なかったのですが、新鮮な野菜がありませんでした。

そこで、種を持ってきて下屋敷などで作り始めたのです。

享保年間に歌川広重が描いた浮世絵には、練馬大根・亀戸大根・品川カブ・内藤かぼちゃ・早稲田みょうが・谷中しょうがなど、村々にその土地の名前がついた野菜がありました。この時代の江戸は既に100万人都市です。ロンドンやパリが、まだ70~80万だったころです。


私は30年ほど、江戸東京野菜の活動を行っているのですが、最初の頃は農家さんに野菜を作ってくださいと無責任にお願いするだけでした。販売は農家さんが苦労しながら直売されていました。そんなとき、2007年に日本橋から江戸東京野菜をブランド化したい、というお話がありました。

それで、日本橋の橋の上で江戸東京野菜の販売を行ったのです。5種類1セットで500円! もちろん赤字です。「日本橋ゆかり」二代目のポケットマネーで。

そのことが『日経MJ』に掲載されまして、それが江戸野菜ブランド化の最初のきっかけかと思います。


野永:僕は京都の「菊乃井」さんで修業しました。

修行時代に当番で野菜を取りに行くと、「お前は江戸っ子か? 賀茂茄子はどうやって食べるか知っているか?」なんて試されるのですね。「まずは生でかじれ。食材の味をきちんと知ってから料理しないと、ただの作業だ」とけちょんけちょんにされるのですが、京野菜の素晴らしさに感動し、京野菜にどっぷりとはまってしまいました。

東京に戻ってきてからも、京野菜を仕入れていたのです。

そうしたら、父が「お前は馬鹿か。ここは東京だぞ!」と。東京にも良い野菜はあるはずだと。

しかし、そのころはまだブランド力がありませんでしたので、再び父が「俺が野菜を作るから、お前はブランドを見直しなさい」と言われ、大竹先生と出会ったのです。

それが日本橋の橋の上での江戸東京野菜の販売につながりました。


大竹:改めて整理しますと、江戸東京野菜とは江戸期から始まる東京の野菜文化を今日まで継承しているもの。特に固定種であることが大切です。つまり種をまき、できたものを食べ、そのなかに種があればそれをまた蒔いて。なければ種用に栽培したものを蒔く。そうやって今日まで続いてきた命を江戸東京野菜と言います。

今みなさんが食べている野菜の多くは交配種です。交配種とはいいところ取りの野菜です。

昭和40年代の東京オリンピックが終わったころに、東京に人口が集中しました。そこで各地から安定的に農産物を供給しようということで、全国に指定産地が出来ました。たとえばキャベツなら嬬恋(群馬県)、というようにです。

そこから送るには段ボールに収まっている必要があります。固定種だと、長いものがあったり曲がっていたりと収まりが悪い。そこで一種の技術ですが、種屋さんが揃いのいいものをかけ合わせて段ボールに収まる野菜を作ったのです。

効率的に流通に乗せるために作られたので、味は二の次です。

もちろん最近は味も見直されてきましたが、本来の野菜の味はわからなくなっています。

野永:一番わかりやすいのは小松菜です。本日は本来の小松菜を味わっていただこうと思います。今、一般的に食べられているのはチンゲン菜などとのかけ合わせ品種です。

種のときには交配種と書いてありますが、出荷されるときには何も書いてありませんので、消費者はいつ小松菜が変化していったかわからないままに食べ続けています。


大竹:徳川幕府8代目将軍である徳川吉宗がある日、タンチョウ鶴狩りに出かけた。その途中でお腹がすいて、近くで食事をとったところ青菜が出てきて、それが非常においしかったので青菜の名前を聞いたらしいんです。そうしたら、特に名前がないという返事で。「それでは、ここの地名をとって小松菜にすればいい」と答えた、という逸話があります。


野永:伝統野菜は季節限定です。

例えば寺島茄子。出始めが不揃いで、9月頃になると赤くなってきます。時期によって様子が違うのが当たり前で、それを忘れて「今の季節は皮が固い」「色がどうだ」など文句を言うのはおかしな話なのです。

大竹:江戸東京野菜は現在42種あるのですが、全国から集まった種の中で江戸の気候風土に合ったものだけが残り、逆に江戸から全国に伝わったものもあります。

例えば、滝野川牛蒡は京都で横に植えられ堀川牛蒡になりました。

牛蒡はピンクの可愛い花が咲きます。中国北部のシベリア辺りに自然に生えているものが、平安時代に漢方として日本に入ってきました。今は野菜として使われていますが、これは日本だけです。海外の方は「木の根っこ?」と驚かれます。


野永:でも最近は、海外でもトップシェフが「土を感じる」ということで着目しているみたいです。


そして本日の試食は、江戸東京野菜の伝統野菜の本来の味がわかりやすいようにシンプルな料理にしました。順番に食べてください。

最初に、小松菜のお浸し。小松菜本来の味と出汁は追い鰹です。江戸前がテーマなので濃口醤油を使いたいのですが、野菜本来の味が消えてしますので本日は淡口醤油を使っています。

次に、滝野川牛蒡のすりながし。ある物を使ってうま味を引き出しているのですが、わかりますか? ヒントは精進料理。

答えは油です。精進料理は油の料理で、油でうま味を引っ張っています。

この料理も、素揚げした牛蒡をペーストして作っています。醤油は使っていません。

最後に、亀戸大根のお漬物。塩と昆布だけでシンプルに漬けてあります。火か入ると味が抜けてしまうので生です。野菜はまず生でかじって、どうしたら野菜が引き立つか見極める必要があります。変にいろいろと料理する必要はないのです。

大根の辛さを味わっていただきたいです。

大竹:伝統野菜はまずいからなくなったのではありません。流通に効率的に乗らないので軽視されてしまったのです。味は本当においしい。ぜひ、全国の伝統野菜を知っていただくよう、お願いします。


野永:日本の食文化を伝えるには、まずは食べて興味を持ってもらうことが大切です。

そのために、その土地に合わせたアレンジ加える。

旬のものを使い、知恵やコラボレーションで発信していけば、必ず皆さんはそのよさに気づいてくれると思います。