全日本・食学会 ALL JAPAN FOOD ASSOCIATION

      
【開催日】
2015年11月8日(日) 《実施レポート》
【開催場所】
東京誠心調理師専門学校(東京都大田区蒲田3丁目21-4)


第2回 全日本・食サミット「江戸前~江戸・東京 未来につなぐ食文化~」イベント報告⑤


■B総合講座(12:45~13:45)

「江戸前と濃口醤油は一体だ!」

高岡哲郎(人形町今半)・和田利弘(バードランド)

田上秀男(日本醤油協会 技術顧問)

創業120年。濃口醤油とともにご商売が成り立ってきたと仰る「人形町今半」の高岡哲郎理事。

日本醤油協会が定めた醤油名匠の第2回大賞受賞者である、「バードランド」の和田利弘理事。

そして、日本醤油協会の技術顧問である田上秀男さんの3名で総合講座を行いました。



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和田:日本醤油協会には醤油名匠という顕彰制度があります。醤油の持つ本来の価値を引き出し、創意工夫をこらして醤油を巧みに使いこなしている“しょうゆ使いの匠”を顕彰してくださるのですが、私が賞をいただいたのは醤油を調味料として活用したのではなく、醤油には「うま味の補強」「香りの追加」「臭みを消す作用」などの効果があり、そこをアピールしている部分が評価されたのだと思っています。


関西は淡口醤油で、関東は濃口醤油と一般的に言われますが、日本醤油協会からいただいた資料を読んでみると、濃口醤油が醤油全体の生産量の8割を超えています。

25年以上前に私がお店を開いたころは、関西料理は上品で素晴らしいが、関東料理は色も味も濃くてしょっぱい、なんて言われていました。しかし、全国の家庭で受け入れられているのは濃口醤油なのですね。調べてみたところ、濃口醤油は優れている点がたくさんあり、鰻や焼き鳥、すき焼きをはじめ、江戸前の料理は濃口醤油に非常に影響を受けていて、濃口醤油が無ければ成立しない料理が多くあります。

17世紀に関東で生まれた濃口醤油が江戸前料理にどう影響を与えてきたのか紐解くことで、江戸前の理解につながるのでは? と思っています。

田上:一般社団法人日本農林規格協会で定められている醤油には5種類あります。

「濃口醤油」「淡口醤油」「たまり醤油」「再仕込み醤油」「白醤油」。

一般的に醤油というと「濃口醤油」のことを指します。万能で使い勝手のよい醤油です。

個人的には漬けで使っても、かけて使ってもよいですが、一番魅力的なのは加熱したときの香りだと思います。この香りは、アミノ酸と糖が加熱によって反応したものです。


関西では淡口醤油が主流に違いないのですが、これは香りを立たせるという役目ではなく、煮物だったら素材の色を美しくするというのが目的です。

濃口醤油とは、使用の目的が違うのです。


濃口醤油が誕生したターニングポイントは、小麦を使って作るようになったことです。

その前は「たまり醤油」が主流でした。


高岡:たまり醤油が濃口醤油に変換していく、歴史的ポイントと地理的なポイントを教えてください。

田上:5つのキーワードがあると思います。

日本で発明された麹菌を使うこと。

散麹(ばらこうじ)であること。これにより扱いが非常に楽で大量生産が可能になりました。

原料を全量麹とすること。全て液体にする必要があり、酵素力がたくさん必要だからです。

大豆と小麦が等量であること。

清澄な液体調味料であること。


高岡:大豆と小麦が等量となったタイミングや背景はありますか?


田上:大豆に、穀類を少しずつ使うのは昔から文献に散見されますが、商業ベースになったのが江戸の1600年から1700年頃。関東で濃口、関西で淡口が同じころにできました。

大豆と小麦を等量に使う技術が確立したためです。


和田:小麦を使った方が生産性が良いのですか?


田上:腐りにくく、蒸した大豆の粒状の間に小麦が入り通気性がよくなり、麹菌が入りやすく、大量生産ができるという物理的利点があります。

加えて、でんぷん質が多くなり、分解されてブドウ糖になり甘味が含まれました。乳酸菌も含まれていて酸味成分もある。小麦のおかげで、味を香りに爆発的な深みが加わりました。グルタミン酸も増え、小麦の皮部分にある成分により醤油独特の香りも出ました。


高岡:醤油の起源は中国ということでしたが、現代の中国の醤油はいかがですか?


田上:たくさんの国民の食を確保するために、古式ではなく効率的な方法で醤油を作るようになりました。日本では1年程かけて作るものを半月ほどで作ってしまいます。

それによって香りや色が犠牲になっていますが、中国料理では醤油は色付けとうま味があれば良いという考えなので、それでも良いのです。

しかし、最近は日本式の醤油を作る工場も出てきました。


高岡:世界を圧巻している日本の濃口醤油が江戸時代に確立した背景はなんでしょう。


田上:江戸という大量消費地が近くにあったこと。関東平野に原材料が豊富にあったこと。そして、醤油発祥の地といわれる和歌山の方が千葉に移り住んだと思われること。気候が温暖であったこと。以上が要因だと思われます。

和田:技術者がいて、素材が揃っていて、消費地があって。

ところで重い醤油はどうやって運ばれたのでしょうか?

その答えは船です。利根川を使った河川物流で運ばれました。利根川は人工的に作った川で、洪水を防ぐために治水を目的として改修を行い、今のような形になりました。

江戸時代は水運が非常に活用されていたのです。


高岡:生産拠点があって、物流拠点があって、消費としての人口があって、胃袋を満たすおいしいものを食べたいという思いが濃口醤油を作り出したのですね。


田上:この濃口醤油の誕生をきっかけに、1600年から1800年の間で現在の醤油を使った料理のほとんどが完成しています。二八蕎麦・天ぷら・鰻などなど。


和田:ここで本日の試食品の紹介です。バードランドはレバーパテ。

普通はバターでレバーを炒めるのが普通ですが、バードランドでは、洗って湯がいて再び洗って、玉ねぎと醤油と少しの砂糖で煮ます。この時の醤油は味つけではなく、香りつき、臭み消し、うま味補強のために使用しています。この3要素の作用を感じてもらうために、本日は試食品としました。

高岡:ビーフジャーキーが人形町今半です。外モモの非常に固い部位で、おいしく食べてもらうには薄くして調理する必要があるのですが、噛みこむと非常にうま味が出てくる。これを味わっていただくために作りました。すき焼きの割下に漬けこみ、85度で120分間、網の上で熱乾燥をしたものです。醤油によってうま味に広がりが出る江戸前ジャーキーだと思っています。


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江戸は最初、地産地消だったのですが、とても100万人という人口を賄いきれなくなり、さまざまな食材を江戸に運び入れる必要がありました。江戸前とは「江戸湾でとれたもの」のことですが、あらゆるところから食材や調味料を取り込んで“江戸流”にした。その一番のきっかけが濃口醤油だと考えられる、という結論にて当講座は終了しました。